走るということ
2006年10月31日 By 編集部員(籠)
元々好きだったのですが、渡英してからというもの、「走る」という行為を心の底から楽しむようになりました。学生寮の隣人が生粋のランナーだったのです。誘われて毎朝走っているうちに、その魅力にすっかりとりつかれてしまいました。特にロンドンには大きくて美しい公園が多いですものね。ランナー天国です。
これまでは景色のきれいな所、例えばハイドパークやテムズ河沿いなどをのんびりと走ってばかりいたのですが、最近はよくレースに出ています。今月は2つの10キロ・レースに出走しました。
走っている間中に覚える、頭の中が空っぽになるような感覚が好き。呼吸と手足を有機的に結び付け合いながら、一歩一歩前へと進む自分の横を通り過ぎる景色が好き。レース中盤から感じ始める、臨死体験にも似たようなマゾ的な苦しさが好き。走り終わった後の絶対的な開放感が好き。夜寝る前の心地よい疲労感が好き。どれも実際に走った人でないとわからない感覚です。
特にレースに参加すると、こういった内面の感覚が研ぎ澄まされます。ちょっと気を抜くと、後ろの人にすぐ追い抜かされてしまうからです。前の人を抜かそう抜かそうと歯を食いしばって走って、やっと隣の人と同じペースを保てる。そうやって自分の体に鞭打つ度に、内面ではドラマチックな葛藤が生まれて、やがて悟りの境地に達したかのような錯覚を覚えます。
走るのが嫌だ、という人でも、テレビでマラソン中継を見たことがある方は多いと思います。大体、同じくらいのペースで走っているランナー同士で集団を形成していますね。でもどのランナーも虎視眈々とその集団を抜け出すことを狙っていて、ちょっとでも遅れる者がいると、一瞥もくれず切り捨てていく。そんな残酷なシーンの連続で、しかもそれぞれのランナーは内面ではものすごくドロドロした葛藤を持っているのに、なぜか爽やかなスポーツとして認識されているのが面白いと思います。
こう聞くと何かまるで人生が凝縮されているようで、わくわくしてきませんか。(籠)