ロマンなアーティストを妄想して

2006年7月18日 By 編集部員(らくだ)

先週の金曜日、ロイヤル・アカデミー「モディリアーニ展」へ行ってきました。
新聞評によっては「深みがない」などと厳しい批評を下されている、
この展覧会。でも、そんなネガティブな意見には耳を傾けません。
私はモディリアー二が好き
本人が男前だし、作品から彼が本当に女性好きであったことが分かるのも良い。35歳で死んだのもいい。
それは「死」をテーマにした作品を描きまくったにもかかわらず、80歳過ぎまで生きたムンクとは、人生に未練を残さなかった点でかなり対照的。

特にヌード作品は、その生々しさから「(モデルの個性より)
『肉体』が描きたいんだ!」と主張する本人の声が聞こえてきそう。それほど、絵の具をたっぷり使い、胸と腰を誇張し、女性達の美しい身体を愛でながら描いています。
鑑賞中に、他の画家、例えばピカソも女性の裸婦を描いたのを思い出しました。
けれども、どことなく女性をやや見下しているように見受けられ「もしや女性が嫌いだった?」と 思ってしまうピカソの作品に対し、モディリアーニは飽くまで女性美を賞賛する視点を感じます。

本展覧会で見られるヌード作品の多くは、まるでフェイクタンを塗ったかのように全身オレンジ色をしています。現在のビクトリア・ベッカムやジョーダンみたい。
そんな中でも、私が気に入っている1枚は、体型こそかなり理想化しているけれど、より生身の女性の肌色に近い色味をしている、縦長作品「Female Nude」(そのままズバリのタイトル)。これは、コートールド・ギャラリーから貸し出し中のもの。
描かれた女性は目を閉じており、首を傾けて一方の肩に乗せています。
やや控えめな胸、細い胴とは対照的に立派な腰。お腹まわりの描かれ方が生々しいのが印象的。

実際にコートールド・ギャラリーを訪れた時も、本展覧会で他のヌード作品と並べてみても、この作品だけは、じっと見入ってしまいました。
なぜだろう、と考えたところ、モデルの表情にほんの少しだけ個性が出ていることに気が付きました。
飽くまでも個人的な類推の域を出ませんが、これは単なるモデルではなく、知り合いの女性を描いたのでは。
女性本人は、ヌードになるのが恥ずかしくて画面を静止できず、目を閉じたのでは。
気のせいか、頬がかなり赤らんでいます。

モディリアーニは作品を制作中、まるで作品と性交するかのように鼻息が荒くなり、大きな声を出していたと聞きます。上記のような作品を描いていたら鼻息も荒くなるだろう、と納得させられます。

アルコールとドラッグにおぼれ、女達を惑わせ、彼が病気で死んだ翌日には彼の子供を身ごもっていた若い恋人が窓から身投げし、 母子とも助からなかったという、モディリアーニ。
彼のように作品作りに一途に情熱を傾けるアーティストが現在いるとしたら、いったい誰なのでしょう。そんなロマンチックな妄想に浸りながら、会場を後にしました。

モディリアーニ本人の写真はこちらを参考

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